「当たり前」に気付くことの大切さ

日々生活していく中で、様々な考える機会、判断を下す機会があるが、後々思い返すとなんであんな考えに至ったのだろう?下手な判断をしたのだろう?と思うことが多々ある。

思うに、結果に至るまでに様々な考えで「補強」しなければいけないと無意識に思い込んでいる気がする。

今の時代、インターネットは「調べ続ければいつかは正解に辿り着ける」と思い込ませてくれる。そして検索ワードは自分の頭で考えつくもの。つまり、自分の考えや希望を補強するための他者による承認の言葉がいくらでも出てくる時代。サーチコンソールで母数や潮流を見ることも出来るが、普通の人はいちいちそこまでしない。
信憑性のない情報でかつ自分達の知識範囲の内容でガチガチに補強された結論に行き着く。
それは脳にとっても気持ちが良いものになる。知らない事や否定的な言葉はいつのまにかなくなっているから。

後になって見返すと、結局「当たり前」なところを蔑ろにした判断は後悔する事が多い。
オシャレだけど歩きにくい靴、使い道のないタブレット、理想だけで中身の無い事業計画、実現性の無いキャリアプラン、、
無駄な情報が邪魔をして、本質や当たり前を見逃してしまう。そのうちやりたい事や自分のアイデンティティも見失ってしまう。

インターネットはほどほどに、自分で判断することの大切さ、愉しさを大切にしてみては。

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